中弁連の意見

 中国地方弁護士会連合会は、国に対し、日本国憲法の恒久平和主義・平和的生存権保障の観点から、集団的自衛権行使を容認する内容での憲法改正発議に慎重な判断を求めるとともに、解釈の変更による、その行使容認に強く反対する。

 以上のとおり決議する。

2014年(平成26年)10月10日

中国地方弁護士大会

提案理由

1 はじめに

 日本国憲法は、前文において恒久平和主義と平和的生存権を掲げ、第9条において、戦争を放棄し、戦力の不保持及び交戦権を否定している。

 これまで政府は、集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」であるとした上で、憲法第9条の下で許容される自衛権の行使は、自国を防衛するために必要最小限の範囲に限られるとし、集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないとする見解をとってきた。この政府見解は1981年(昭和56年)以来30年以上に渡って一貫して維持されてきたものである。

 ところが、政府は、閣議決定によって、集団的自衛権に関する解釈を変更し、その行使を容認した。集団的自衛権行使の禁止は恒久平和主義の内容をなすものであり、その行使容認は、恒久平和主義・平和的生存権の保障を後退させることにつながりかねない。さらに、自由民主党の日本国憲法改正草案では、平和的生存権を前文から削除し、第2章の章題である「戦争の放棄」を「安全保障」と変更した上、戦力の不保持及び交戦権を否定した第9条第2項を削除し、集団的自衛権を含んだ自衛権の規定を設けるなど、恒久平和主義・平和的生存権の保障を損ないかねない憲法改正の動きも強まっている。

 しかしながら、恒久平和主義・平和的生存権の保障は、憲法改正によっても侵すことのできない基本原理であり、ましてや解釈の変更という憲法改正手続を潜脱する方法によって侵すことなど許されるものではない。

 

2 集団的自衛権行使を容認する動き

 自由民主党が政権与党の座に復帰した2012年(平成24年)12月以降、集団的自衛権の行使を容認する動きが急速に進み、2013年(平成25年)1月には安倍晋三首相は「集団的自衛権行使の(憲法解釈)見直しは政権の大きな方針の一つ」と言及した。同年2月には「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下、「安保法制懇」という。)が集団的自衛権についての審議を再開した。その後、同年12月には国家安全保障会議(日本版NSC)が創設されるとともに、特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使を前提とした法整備が進み、2014年(平成26年)5月15日には安保法制懇の報告書を受けて、安倍首相は、今後の検討に関する基本的方向性を発表するに至った。その中で、安保法制懇の報告書で示された集団的自衛権行使の容認についての二つの考え方のうち、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性のあるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という考え方については、今後さらに研究を進めていきたいとし、その上で「憲法解釈の変更が必要と判断されれば」閣議決定を行うとし、政府は、同年7月1日には、集団的自衛権を容認する閣議決定を行った。

 また、自由民主党は、2012年(平成24年)4月に上記1記載のように集団的自衛権を容認する内容を含む日本国憲法改正草案を決定し、2014年(平成26年)5月9日には憲法改正手続を定めた国民投票法改正案が衆議院を通過し、憲法改正に向けた法整備も進められている。

 

3 集団的自衛権に関する日弁連の意見

 日本弁護士連合会は、2005年(平成17年)11月の第48回人権擁護大会(鳥取)において、「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」を採択し、立憲主義、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義を憲法の理念及び基本原理として確認した。さらに、2008年(平成20年)10月の第51回人権擁護大会(富山)においては、「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」を採択し、平和的生存権と憲法第9条が今日極めて重要な意義を有していることを確認して、我が国の安全保障が恒久平和主義・平和的生存権を基盤として確立されるべきことを要請している。そして、集団的自衛権容認の動きに対して、2012年(平成24年)7月27日には「集団的自衛権の行使を容認する動きに反対する会長声明」、2013年(平成25年)3月14日には「集団的自衛権の行使容認および国家安全保障基本法案の国会提出に反対する意見書」を発表し、同年5月31日の定期総会においては「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」を採択し、政府が解釈を変更することによって集団的自衛権の行使を容認することに強く反対している。さらに、2013年(平成25年)10月の第56回人権擁護大会(広島)においては、「恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、『国防軍』の創設に反対する決議」を採択し、恒久平和主義・平和的生存権の保障を損ないかねない憲法改正の動きに対しても強く反対し、加えて2014年(平成26年)5月30日の定期総会においても「重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議」を採択し、重ねて解釈変更による集団的自衛権の行使を容認することに強く反対している。また、政府が、同年7月1日に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行うと、同日、「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明」を発表し、閣議決定の撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等に反対している。

 

4 恒久平和主義の崩壊につながる懸念

(1)我が国の恒久平和主義
 憲法前文は、恒久平和主義と平和的生存権を掲げ、憲法第9条は、戦争を放棄し、戦力の不保持及び交戦権を否定している。憲法前文や憲法第9条に恒久平和主義・平和的生存権の保障が明記されているのは、第二次世界大戦までの歴史的反省から二度と戦争を引き起こさないよう国家権力を縛るためであり、日本国憲法は、非軍事の徹底した恒久平和主義に立脚している。
 そして、国際連合憲章においては、武力による威嚇又は武力の行使を慎まなければならないと規定して(国際連合憲章第2条第4項)、国際法上原則として各国の武力行使を禁止し、国家の安全は集団安全保障措置(国際連合憲章第39条、第41条、第42条)によることとしている。各国が武力を行使できるのは、集団安全保障措置が採られるまでの暫定的な個別的又は集団的自衛権の行使のみである(国際連合憲章第51条)。しかしながら、憲法第9条第2項は、武力行使を禁止した国際連合憲章をさらに発展させ、戦力の不保持及び交戦権を否定している。このような憲法第9条の意義からすれば、個別的自衛権の行使と自衛のための最小限度の実力組織の保持のみが認められ、集団的自衛権の行使は否定されることになる。集団的自衛権行使の否定は、日本における軍事力によらない恒久平和主義の核心部分なのである。
 集団的自衛権の行使を容認することは、戦争をしない国から戦争をする国への転換につながるものであり、恒久平和主義の根幹を揺るがすものとなる。すなわち、日本国憲法の基本原理である恒久平和主義・平和的生存権の保障を損なうものであって、憲法改正によっても侵すことができない憲法の同一性に関わる部分に関するものとして、改正権の限界に関わるものと考えられる。

 

(2) 恒久平和主義の形成と安定性
 また、そもそも集団的自衛権の行使を容認する必要性があるのであろうか。
 集団的自衛権は、個別的自衛権と異なり、国際連合憲章の制定過程を通じて生まれた新しい概念であり、国際連合憲章に明文化されたことによって初めて国際法上承認された権利である。国家がその主権を保持するために当然に有する権利ではなく、また直接我が国の自衛に必要不可欠とまではいえない。自由民主党の日本国憲法改正草案Q&Aなどでは、集団的自衛権は自然権であり、主権国家であれば当然有する権利であるとされている。しかしながら、国家は国民の社会契約によって組織され、権力の行使を委任されたものである。そのため、社会契約前の自然状態では成立していないはずの国家にはそもそも自然権は存在し得ないものと考えるべきである。
 政府は、従来から、憲法第9条が戦争を放棄し、戦力の不保持及び交戦権を否定していることを前提として、憲法第9条の下で許容される自衛権の発動については、次の3要件に該当する場合に限定していた(1969年(昭和44年)3月10日参議院予算委員会法制局長官答弁、1972年(昭和47年)10月14日参議院決算委員会提出資料、1985年(昭和60年)9月27日政府答弁書)。すなわち、①我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること、②この攻撃を排除するため、他の適当な手段がないこと、③自衛権行使の方法が、必要最小限度の実力行使にとどまること、である。したがって、たとえ日本と密接な関係にある外国に対する武力攻撃がなされたとしても、日本が集団的自衛権を行使してその武力攻撃を阻止することは、上記①の要件を欠き、自衛権行使の必要最小限度の範囲を超えるため、憲法に違反し許されないとするのが政府の一貫した解釈である。政府は、憲法第9条の下でも個別的自衛権の行使と自衛のための必要最小限度の実力組織として自衛隊の保持を認めてきたが、これらが憲法第9条に違反しないとするためには、自衛権の行使を上記3要件によって限定し、集団的自衛権の行使はその範囲を超えて許されないものであるとすることが、必要不可欠な歯止めとされてきたのである。多くの議論の積み重ねがあって、このような解釈が30年以上維持され、国家の基本原理である恒久平和主義が形成されるとともに、安定性が保持され、このような解釈の下、憲法第9条は、自衛隊の組織・装備・活動等に対して大きな制約を及ぼし、憲法規範として極めて重要な機能を果たしてきた。
 このように長年に渡り積み重ねられてきた国家の基本原理に関する解釈の核心部分を改変するためには、その必要性について慎重な判断が必要である。

 

(3) 国際社会の情勢
 これまで憲法第9条改正の必要性として強調されてきたのは、北朝鮮や中国との軍事的緊張や両国の軍事力の台頭である。北朝鮮については核実験実施や核ミサイルの開発、保有政策などが挙げられ、中国については軍事力の増強や尖閣諸島を巡る緊張などが挙げられる。また、韓国との間では竹島の領有権問題もある。憲法第9条は、国際情勢の変化の中で、現在我が国における安全保障を十分に行うためには憲法規範として不適切であるということである。
 たしかに、北東アジアの安全保障の状況は、各国に緊張関係があることは否定できない。しかしながら、軍事的対応で解決できるとは限らず、むしろ、現在の国際社会の流れは、軍事力による紛争解決から平和的解決を目指す流れが形成されている。
 今日、国際社会においては、経済その他の活動がグローバル化し、各国の密接な相互依存関係が深化している。特に日本や中国、韓国の相互依存は非常に強く、各国の経済は他国の存在なくしては成り立たないといっても過言ではない。その他文化や情報、人の交流等においても同様である。今日において、紛争が生じた場合に、これを軍事力で解決しようとするのは、その相互依存関係を破壊し、自国の存立基盤を損なうことになる。
 また、北東アジアとの関係でも1994年(平成6年)にはASEANを主催者としてアジア太平洋地域における政治・安全保障協力を進めるためASEAN地域フォーラムが開始され、1997年(平成9年)にはASEAN+3(日本、中国、韓国)の枠組みも誕生している。そして、2005年(平成17年)には東アジア共同体を目標とする東アジア首脳会議が開催されるなど東アジア・太平洋地域の平和と安全保障問題を議論する場が生まれている。このような安全保障環境は、平和的な安全保障の基盤を整備するものである。

 

(4)集団的自衛権を容認することによる影響
 恒久平和主義・平和的生存権の保障は、第二次世界大戦までの歴史的反省から定められたものであり、これらはアジアにおける日本の信頼を獲得するための大きな要素になっており、恒久平和主義・平和的生存権の保障を損なうことは、日本に対する中国や韓国などの不信を増大させ、日本の安全保障を損なう恐れがあるものである。
 また、もし集団的自衛権を行使することになれば、他国の間で発生した紛争に日本が否応なしに巻き込まれる可能性が高まることになる。日本が紛争に巻き込まれることになれば、日本国内の自衛隊の基地などが攻撃の対象となるにとどまらず、双方の攻撃の応酬の末、戦争へと発展して、国民の生命や財産などへの被害が生じうることは容易に想像される。さらに、海外での軍事力行使が際限なく拡大する危険を孕むものである。
 すでに、2013年(平成25年)10月に日米外相・防衛担当閣僚会議において、2014年(平成26年)中に集団的自衛権の行使を前提にした「日米防衛協力のための指針」の改定を行うことが合意されており、日米の軍事的協力関係が大きく変わり、集団的自衛権の名のもとに米国の紛争に巻き込まれる危険性が増すことになることが予想される。そして、その前提として、2013年(平成25年)12月の「国家安全保障戦略」、「新防衛計画大綱」、「中期防衛力整備計画」では、集団的自衛権の記載はないものの、自衛隊の質的・量的強化とその活動領域の拡大を強く打ち出した内容となっている。

 

(5)小括
 以上のように、集団的自衛権の行使を容認することは、憲法改正の限界を超え、改正をなし得ない疑いが残る。
 また、そもそも軍事力によって我が国の平和や安全を守るという考えは、それが紛争解決に資するのか定かでないばかりか、他国の紛争に巻き込まれる危険性を高めることになる。そして、アジア諸国の不信を増大させ、むしろ我が国の平和や安全を損なうことにつながりかねない。そのため、平和的な安全保障の基盤が整備されてきていることや各国が相互依存関係にある今日の国際情勢に照らせば、協調的な政策を通じて北東アジアにおける緊張関係を緩和させ、平和的な手段による安全保障を模索していくべきであり、集団的自衛権の行使を容認する必要性はないといえる。

 

5 二重の違反

 上記1及び2記載のように、政府は、憲法改正によらず、閣議決定によって、集団的自衛権に関する解釈を変更し、その行使を容認した。すなわち、自衛権の発動の要件を、上記4(2)記載の3要件から、①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、③必要最小限度の実力を行使すること、と変更し、我が国に対する武力攻撃がない場合にまで、自衛権の発動を可能とした。本閣議決定は、「明白な危険」などの要件において、集団的自衛権の行使を限定するものとされているが、抽象的かつ不確定な概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がなされる危険性を孕むものであると言わざるを得ない。

 上記1記載のように、政府は、集団的自衛権の行使は、憲法第9条の下で許容される自衛権の範囲を超えるものであって、憲法上許されないとする見解をとってきた。この政府見解は1981年(昭和56年)以来30年以上に渡って一貫して維持されてきたものである。
長年に渡って繰り返し確認され、定着してきた政府の憲法解釈は、憲法第9条の内容をなすものであり、また上記4(1)記載のように、集団的自衛権行使の否定は、憲法の基本原理である恒久平和主義の核心部分をなすものである。すなわち、集団的自衛権の行使を容認することは国家のあり方を変える憲法の改正に他ならない。

 憲法を改正するためには、国会の各議院の総議員の3分の2以上の賛成を憲法改正発議の要件とし、さらに国民投票による過半数の賛成を要件としている(憲法第96条)。憲法を改正する手続きは他には存在しない。それにもかかわらず、解釈の変更により、憲法の内容を改変することは、憲法違反以外の何物でもない。

 そもそも、憲法は、国の最高法規(憲法第98条)として国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止し、国民の権利や自由を保障することを目的としている。そのため、憲法には厳格な改正手続が定められ、国務大臣や国会議員に憲法尊重擁護義務(憲法第99条)を課しているのである(立憲主義)。すなわち、時の政府に憲法を変える権能などないのであり、解釈の変更によって集団的自衛権を容認することは、立憲主義に真っ向から抵触するものであり、到底許されることではない。

 したがって、解釈の変更によって集団的自衛権行使を容認することは、手続面及び内容面について、二重に憲法をないがしろにするものであり、たとえ限定的なものであったとしても到底許されるものではない。

 

6 結語

 よって、当連合会は、国に対し、日本国憲法の恒久平和主義・平和的生存権保障の観点から、集団的自衛権行使を容認する内容での憲法改正発議に慎重な判断を求めるとともに、解釈の変更による、その行使容認に強く反対する。

以上