中弁連の意見

 中国地方弁護士会連合会は、すべての人に生存権を保障するため、政府に対し、給付額抑制を目的とした生活保護基準の引き下げの撤回を求めるとともに、生活保護の利用を妨げる生活保護法の改正に強く反対する。

 以上のとおり決議する。

 

2013年(平成25年)10月11日

中国地方弁護士大会

提案理由

第1 はじめに

1 生活保護基準切り下げの動き

(1)未曾有の不況の中で最後のセーフティネットである生活保護の重要性はその論を待たない。にもかかわらず、政府は次々と生活保護基準を切り下げる方策を採り続けている。

(2)まず、東日本大震災を受けて、政府は、震災からの復興対策に大きな財源が必要であることを理由に、かねてから検討してきた税と社会保障の一体改革の議論において、社会保障予算の削減を検討する姿勢を見せた。そして、2012年(平成24年)8月10日に社会制度改革推進法が成立するや、その付則第2条において給付水準の適正化を含む生活保護制度の見直しが定められたことを受け、8月17日に「平成25年度予算の概算要求組換え基準について」を閣議決定した。そこでは社会保障分野も聖域視せず、生活保護の見直しを始めとする合理化・効率化に最大限取り組み、極力圧縮に努めることが明記されている。

 また、厚生労働省の平成25年度の予算概算要求の主要事項には、生活保護費を抑制するため「生活保護基準の検証・見直しの具体的内容については、予算編成課程で検討する」と記載されている。

(3)2013年(平成25年)1月18日、社会保障審議会の生活保護基準部会の報告書(以下「基準部会報告書」という。)がとりまとめられると、1月29日、政府は、2013年(平成25年)度予算案で生活保護の生活扶助基準を3年間で総額670億円削減することを決めた。削減幅は平均6.5%(最大10%)で、この基準引き下げによって受給額が減る世帯は96%に上る。現行生活保護法が制定された1950年(昭和25年)以来、生活保護基準が引き下げられたのは、2003年(平成15年)年(0.9%減)と2004年(平成16年)度(0.2%)の2回だけであり、今回は前例のない大幅引き下げである。なお、基準部会報告書によっては最大で10%もの生活保護基準の引下げを根拠付けることができないため、政府は、消費者物価指数から抽出した生活扶助相当CPIが2008年(平成20年)と比べ2011年(平成23年)に4.78%下がっていることを引下げの根拠として追加している。そして、この予算案は2013年(平成25年)5月15日成立した。

(4)しかし、一方において、20兆円規模の緊急経済対策を打ち出し、公共事業等による財政出動を行うとしながら、生活保護基準の引き下げによって生活保護利用者をはじめとする低所得者層に対して負担増(実質的な増税)を強いるのは、政策そのものが根本において矛盾している。社会的・経済的弱者に対して、公平を欠いた負担を強いるものといわざるを得ない。

 

2 生活保護法改正の動き

(1)政府は、2013年(平成25年)5月17日、生活保護法の一部を改正する法律案(以下、「改正案」という。)を閣議決定した。この改正案第24条第1項は、保護の開始の申請は、「要保護者の資産及び収入の状況」その他「厚生労働省令で定める事項」を記載した申請書を提出しなければならないと規定する。また、同条第2項は、申請書には保護の要否判定に必要な「厚生労働省令で定める書類を添付しなければならない」としている。
 しかし、現行生活保護法第24条第1項が、保護の申請を書面による要式行為としておらず、かつ、保護の要否判定に必要な書類の添付を申請の要件としていないことと比べて、また、口頭による保護申請も認められるとする確立した裁判例(平成25年2月20日さいたま地裁判決など)からも、生活保護申請権に制限を加える結果となることは明らかである。

(2)次に、改正案第24条第8項は、保護の実施機関に対し、保護開始の決定をしようとするときは、あらかじめ、扶養義務者に対して、厚生労働省令で定める事項を通知することを義務付けている。
 しかし、現行法下においても、保護開始申請を行おうとする者は、親族等の扶養義務者への通知により生じる軋轢をおそれて申請を断念する場合は少なくない。かかる通知には生活保護申請に対する萎縮的効果があり前項と同様に生活保護申請権に制限を加えるものであり看過できない。

(3)これらの改正に対する批判の高まりを受けて、まず、改正法第24条については、与野党の修正協議により修正がなされた(以下、「修正案」という。)。修正案では、改正案第24条第1項の「保護の開始の申請は」...「申請書を」「提出してしなければならない」との文言を「保護の申請をする者は」...「申請書を」「提出しなければならない」との文言に変更し、また、同条第1項及び第2項に、いずれも、「特別の事情があるときは、この限りでない」との但し書きを加える修正がなされた。これに対し、扶養義務者への通知及び調査に関する改正法第24条第8項、第28条及び第29条の修正はなされないままであった。

(4)この修正案は結局、参議院で首相に対する問責決議案が可決されたことから審議されることなく廃案となったが、臨時国会において再び提出されることは確実視されている。
この生活保護法の改正は結局前記生活保護基準切り下げの動きと同様に、生活保護費の給付額の削減のためになされたものであり、その背景は共通している。すべての人に生存権の保障をするために、このような生活保護法の改正はなされるべきでない。

 

第2 生存権保障の現状

1 日本の貧困の現状

(1)貯蓄なし世帯の増加

 一切の貯蓄をもっていない世帯は、1980年代には全世帯の5%前後で推移していたが、1990年代には10%前後となり、その後未曾有の不景気を受けて、急激に増加し、2012年(平成24年)には二人以上世帯で26.0%、単身世帯で33.8%になっている(「家計と金融動向に関する世論調査」日銀金融広報中央委員会)。高齢者世帯の貯金取り崩しは、1998年(平成10年)には月平均2万6000円だったものが2012年には月平均5万円に達している(総務省家計調査)。

(2)国民健康保険料の滞納の増加

 国民健康保険の保険料を滞納している世帯は、2000年(平成12年)6月から2004年(平成16年)6月までの4年間に、370万世帯から461万世帯(18.9%)に増加し(法と民主主義№409・5頁)、国民健康保険料の長期滞納を理由に保険証を使えない無保険者が2004年(平成16年)度、全国で30万世帯以上に達し、2000年(平成12年)度の3倍以上に増加した(2006年(平成18年)1月4日毎日新聞社記事)。

(3)就学援助受給者の増加

 就学援助受給者は、全国で約155万人、受給率全国平均15.3%である(2010年(平成22年)度)。2001年(平成13年)からの10年間で受給率は約5.6%も増加した。文部科学省によると、2009年(平成21年)度に授業料減免を受けた公立高校生は全国で25万2千人。公立高校生227万9千人の11%にあたる。データがある1996年(平成8年)度以降では人数も割合も過去最高という(2010年(平成22年)9月13日朝日新聞社記事)。

(4)非正規労働者の増加、給与所得者の年収の減少

 パート・アルバイト、派遣社員・契約社員などの非正規雇用労働者は年々増加し、1995年(平成7年)には約1000万人だったのが2005年(平成17年)には約1600万人、3人に1人の割合にまで増加し、2012年(平成24年)には約1813万人となっている(総務省労働力調査)。また、その賃金は、正規雇用労働者の約60%の水準にすぎない(厚生労働省2012年賃金構造基本統計調査)。2011年(平成23年)1年間を通じて勤務した給与所得者の年収は、200万円以下が23.4%、300万円以下が40.8%、それぞれ5年前の22.8%、38.6%(国税庁民間給与実態統計調査)の水準から増加している。

(5)自殺者数の増加

 1998年(平成10年)から2011年(平成23年)までの13年連続で中高年を中心に毎年3万人を超える人々が自ら命を絶っており、2002年(平成14年)からは経済的理由による自殺が8000人前後で推移しており(警察庁「平成17年中における自殺の概要資料」)、最近では20代30代の若年者の自殺が増加している。自殺率は世界第5位(2009年WHO調査)であり、自殺未遂者の数は、自殺者数の10倍は存在するといわれている。
 このように、様々な指標がわが国の貧困と格差の拡大を物語っている。人々は、日々の生活の安定を失い、不安を抱え、仕事、家族、蓄え、住まい、健康、人との触れ合い、愛情等、人生において積み重ねてきたものを次々と喪失して社会から排除され、しかも、それが世代を超えて拡大再生産されるという貧困の連鎖を生じさせている。OECDによると、その国の平均的な世帯所得の半分以下しかない人の比率を示す貧困率は、日本は16.0%(2009年(平成21年))である。これは、加盟国30か国中第4位の高率であり、年々増加する傾向にある(OECDホームページ(http://www.oecd.org/)による。)。

 

2 貧困を引き起こす社会的背景

(1)市場中心主義の弊害

 生活困窮者の増大と貧困の深刻化の要因は、主に、政府の構造改革政策、すなわち、市場の障害物や成長を抑制するものを取り除くという市場中心主義のもとにおける規制緩和と政府活動の見直し(小さな政府、官から民へ)にある。労働規制の緩和により、企業は雇用を正規雇用から非正規雇用(パート、アルバイト、派遣その他)に置き換え、それが不安定就労・低賃金労働の増大をもたらし、また、不良債権処理(いわゆる貸しはがし等)が多くの企業倒産を招き、生き残りを懸けたリストラへと企業を駆り立て、大量の失業者を発生させたのである。
 加えて、この構造改革は、規制を緩和し、市場競争を激化させる政策であるため、企業間の業績の差を拡大させ、それが、一部の富める人々と生活困窮者との間における経済的格差を一層際立たせることに繋がっている。

(2)規制緩和による非正規雇用者の急増

 労働の分野では、市場中心主義のもとにおける規制緩和により非正規雇用が急増、不安定・低賃金労働が拡大していった。不安定・低賃金労働の拡大は、特に女性と子どもに顕著に影響を及ぼしている。もとより男女間の構造的な賃金格差にさらされてきたわが国の母子家庭では、8割以上が働いているにもかかわらず、母子家庭が大きな割合を占めるひとり親家庭の貧困率は5割を超えており、労働が貧困の改善に役割を果たしていない。さらに、その平均収入も減少し続けているという報告がある。また、定時制高校に通う子どもの正規雇用も規制緩和とともに大幅に減少し、子どもにも不安定労働が拡大しているという報告もある。

 また、新卒定期一括採用と終身雇用制度を組み合わせたいわゆる日本型雇用慣行の後退と若年労働者への非正規労働の拡大、失業率の悪化などにより、特に若年層での貧困が拡大している。さらに、学校を卒業しても就職そのものが困難な実態もある。

 このような貧困や格差を根絶するためには、本来、労働法制や社会保障制度全般の根本的な見直し・是正提言が必要である。しかし、生活保護制度は、他の制度によっては健康で文化的な最低限度の生活さえ維持し得ない人々を支えるための最後のセーフティネットとして、こうした人々が自助努力をなし得るスタートラインに立つためにも最低限保障されるべきものである。

 

3 生存権保障と生活保護制度

(1)生存権を保障するために、数多くの社会福祉に関する法律が制定されている。例えば、いわゆる福祉六法と言われる児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法、知的障害者福祉法、老人福祉法、母子及び寡婦福祉法や、社会福祉法、介護保険法、障害者自立支援法などである。この中でも、生活保護制度はその補足性の原則から「最後のセーフティネット」といわれる。

(2)このように、本来は生存権の保障は生活保護制度のみによって支えられるものではなく、その他の年金制度や医療制度、雇用法制など様々なしくみで保障されるべきである。しかしながら、現状においてはその他のセーフティネット(年金や雇用保険などの社会保障制度)が十分に役割を果たせず、生活困窮者の多くが生活保護をよりどころにせざるを得なくなり、受給者の増加に歯止めがかからない事態となっている。

(3)岡山県を例にとってみると、被保護者の実人員について、2003年(平成15年)度は1万8186人(世帯数は1万2002世帯)であったところ、2013年(平成25年)3月には2万6375人(世帯数は1万8747世帯)と8189人(世帯数は6745世帯)増加している。

 なお、2011年(平成23年)度の岡山市における生活保護費の総支給額は211億0933万7649円である。

(4)そうすると、生活保護受給者が増大した原因は貧困の拡大にあるのであって、現状は生活保護制度が最後のセーフティネットとしての役割を果たしていることを示している。
 むしろ問題とすべきは、生活保護を必要とする生活困窮者が増大し続けていることであり、その原因である経済政策、労働政策の行き詰まりと生活保護以外の社会保障制度の機能不全である。

 

第3 貧困問題に対する当連合会の取り組み

 当連合会は、2008年(平成20年)に開催された大会においてひとり親(母子家庭)への支援を求める議題を提案し、また、2009年(平成21年)には「労働と貧困」問題を解消するため、最低賃金制度の抜本的改正を求める議題を提案し、格差と貧困の問題に取り組んできた。

 わが国の貧困問題を解決するために、社会正義の実現と基本的人権擁護の立場から当連合会が憲法の理念に基づいた提言をすることは極めて重要である。

 特に東日本大震災とこれに伴う原子力発電所事故を契機として、国や社会の在り方が改めて問われている今こそ、生存権保障についておおいに議論すべき時である。

 

第4 給付額抑制を目的とした生活保護基準の引き下げが許されないこと

1 生活保護基準切り下げ論に対する反論

(1)基準部会報告書

ア 政府は生活保護基準を引き下げる根拠として基準部会報告書をあげている。
しかし基準部会報告書は、「厚生労働省において生活扶助基準の見直しを検討する際には、本報告書の評価・検証の結果を考慮し、その上で他に合理的説明が可能な経済指標などを総合的に勘案する場合は、それらの根拠についても明確に示されたい。なお、その際には現在生活保護を受給している世帯及び一般低所得世帯への見直しが及ぼす影響についても慎重に配慮されたい。」としており、安易な生活保護基準の引下げに対して、むしろ慎重な姿勢を示している。

イ また、基準部会報告書は、平成21年全国消費実態調査のデータに基づいて世帯員の年齢、世帯人員、居住する地域の組み合わせによって一般低所得世帯(第1・十分位 )と生活扶助基準を比較検証しているが、検証結果の留意事項において、「特定の世帯構成等に限定して分析する際にサンプルが極めて少数となるといった統計上の限界」があり、今回の検証方法が「唯一の手法ということでもなく」、「検証方法について一定の限界があることに留意する必要がある。」としている。

ウ さらに、「現実には第1・十分位の階層には生活保護基準以下の所得水準で生活している者も含まれることが想定される点についても留意が必要である。」として、「今般、生活扶助基準の見直しを具体的に検討する際には、現在生活保護を受給している世帯及び一般低所得世帯、とりわけ貧困の世代間連鎖を防止する観点から、子どものいる世帯への影響にも配慮する必要がある。」と述べ、特に報道にあるような子育て世帯に対して大幅な基準の引下げを行うことについて明確な警鐘を鳴らしているのである。
 生活保護の利用資格のある者のうち生活保護を利用できていないいわゆる漏給層が大量に存在する現状においては、低所得世帯の支出が生活保護基準以下になるのは当然であり、このことを論拠に生活保護の基準を引き下げることもできないのである。

エ 基準部会報告書において、このような問題点が指摘されている以上、基準部会報告書を生活保護基準の切り下げの根拠とすることはできない。

(2)物価の下落

 政府は、保護基準引き下げの理由として、物価の下落を挙げている。

 確かに、デフレが言われて久しいが、価格が大きく下がっているのは耐久消費財等であって水光熱費や食料などの生活必需品の価格は下落していない。かえって円安の影響で燃料費や食料品の価格は上昇傾向にあり、電気料金等公共料金の値上げも始まっている。誰もが生活に必要としている生活必需品の物価は下落していないのであるから、これを生活保護基準引き下げの理由とすることもできない。

 

2 生活保護基準の切り下げにより他方面に与える影響

(1)地域別最低賃金を決定する場合には、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性にも配慮しなければならないことになっている。生活保護基準の引下げは最低賃金の引き下げに連動するおそれがある。それは、貧困の拡大に拍車をかける結果となる。

(2)生活保護基準は、住民税の非課税基準、介護保険の保険料・利用料や障害者自立支援法による利用料の減額基準、就学援助の給付対象基準などにも連動している。生活保護基準の引下げは、現に生活保護を利用している人だけでなく、市民生活全般に大きな影響を及ぼす。

(3)実質面から見ても、日本の生活保護費(社会扶助費)のGDPに対する割合は約0.5%であり、OECD加盟国平均の約1/7に過ぎず、諸外国に比べて極端に低いものである(世界銀行Survey of Social Assistance in OECD Countries)。生活保護費を狙い撃ち的に引き下げても財政への影響は小さいのである。

 

第5 生活保護法改正が生活保護申請権の制限となり許されないこと

  1.  生活保護基準の切り下げだけでなく、政府はこれまでに多数報告されている窓口であれこれと理由をつけて保護申請をさせずに追い返してしまう違法な水際作戦にお墨付きを与える法改正を進めようとしている。
     
  2.  すなわち、先に挙げた修正案においても法文の形式的な文言のみからは、修正の趣旨がなお不明確である。修正案の審議の際には従前の運用を変更するものではないとの国会答弁がされたが、従前の運用を変更しないのであればそもそも法文の新設は不要なはずである。にもかかわらず、このままの規定が成立すると、法文が一人歩きし、申請を要式行為化し厳格化したものであると誤解され、違法な「水際作戦」をこれまで以上に、助長、誘発する可能性が極めて大きい
     
  3.  また、改正案第24条第8項、第28条及び第29条については、政府答弁において、明らかに扶養が可能な極めて限定的な場合に限る趣旨であると説明されている。
     しかし、かかる規定の新設により、保護開始申請を行おうとする要保護者が、扶養義務者への通知等により生じる親族間のあつれきをおそれて申請を断念するという萎縮効果を一層強め、申請権に制限を加えるものであることは明らかであり、到底容認できない。

 

第6 結語

 生活保護の受給者が増大し給付額が増大しているのは、その原因である経済政策、労働政策の行き詰まりと生活保護以外の社会保障制度の機能不全であり、このことに手をつけないまま、単に生活保護費を抑制するために基準額を削減することや、申請自体を断念させるべく生活保護法を改正することには、何の正当性もなく、日本の貧困をさらに深刻化させる自体を招くものでありあってはならないことである。

 よって、すべての人に生存権を保障するため、政府に対し、給付額抑制を目的とした生活保護基準の引き下げの撤回を求めるとともに、生活保護の利用を妨げる生活保護法の改正に強く反対する。

以上