中弁連の意見

中国地方弁護士会連合会は、法教育のより一層の普及と実践のために、

(1)教員、教育委員会及び研究者等の法教育に携わる全ての関係者・団体等との密接な協働関係を構築し、教材開発、模擬裁判、出張授業、裁判傍聴等の支援・実施のための活動を推進すること

(2)法教育を指導・支援することのできる弁護士を質的にも量的にも十分に確保すべく、単位会相互の情報交換及び人的・物的協力体制を確立すること

(3)今後、教育現場に導入されることとなる法教育の内容が、質的にも量的にもより一層充実したものとなるよう、行政に対して積極的に働きかけること

(4)市民、教育関係者及び法律実務家等の法教育に対する理解を広めるために、積極的に広報に努めること

 を決議する。

2008年(平成20年)10月10日

中国地方弁護士大会

提案理由

1 法教育の意義

 法教育とは、法律専門家でない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育を意味する。

 この新しいタイプの教育の特徴は、第一に、法曹養成のための法学教育等とは異なり、一般市民を対象としていること、第二に、法律や条文の制度を覚える知識型の教育ではなく、例えば、正義、公正、自由、平等、責任といった法の背景にある基本的価値観及び司法制度の機能・意義を考える思考型の教育であること、第三に、社会に参加することの重要性を意識付ける社会参加型の教育であることにある。

 

2 法教育の必要性

 日本国憲法は、個人の尊厳の尊重と基本的人権の保障を規定するとともに、主権が国民に存することを宣言し、統治原理として立憲民主主義を採用している。このような憲法が理想とする自由で公正な民主主義社会は、法の背景にある基本的価値観や司法制度の機能・意義に関する知識を有するだけにとどまらず、法的思考や法的参加の技術を修得し、さらに、法や法の基礎に従って行動する意欲をも備えた市によって初めて成り立つ。

 しかしながら、人間は誰しも生まれながらにして、そのような知識・技術・意欲を獲得しているわけではない。後天的に、皆がそのような能力を体得していくのである。

 そうであるとすれば、市民が可及的に紛争に巻き込まれることを回避し、また、万一、紛争に巻き込まれてしまった場合に、合理的かつ適切にこれを解決し、もって、自らの幸福を最大限追求できる能力を培うためには、上記のような法的資質・素養を法教育を通じて習得していくことが何より有用である。

 殊に、現代社会の直面する急激な社会状況の変化は、市民にとって前記意味での法的資質・素養の必要性を、以前にも増して格段に高めている。

 まず、現代では、社会の各分野において規制緩和が進められ、事前規制型社会から事後救済型社会への転換が遂げられている。このような社会構造の変革は、市民の自由な活動領域を広めるとともに、様々な紛争を勃発させる可能性を高めることにもなった。その結果、このようにして生じた紛争を解決するための手段として、透明かつ公平な法に基づく紛争解決機関としての司法制度に対する期待はかつてない程高まっている。もとより、一連の司法制度改革もその延長線上に存在するものである。

 また、国際化社会が到来し、多様な文化的背景や価値観を持った人々が日常的に交流するようになったことにより、そのような人々の間で一旦紛争が生じた場合、一種の共通言語として法という透明性の高いルールによる解決に委ねざるを得ないという社会状況が新たに生み出されてもいる。

 他方、国内だけに目を転じても、市民社会における急激な価値観の多様化は、もはや引き返すことの出来ない程に深く確実に進行しており、そのような社会にあっては、従来型のいわゆる「和」による解決が期待される場面は減少傾向にあり、それに反して、「法」による解決が期待される場面が飛躍的に増大し続けている。

 そして、以上のような法化社会の到来は、市民一人ひとりに対して、法が、単に自由を制限するものではなく、共生のための相互尊重のルールであるという肯定的認識に立脚したうえで、そのような法の定立・適用・執行の各過程を正しく理解し、自らこれらの過程に積極的に関わっていく社会参加の態度をも求める。2009年(平成21年)5月21日から実施される裁判員制度は、一面、そのような意義をも有するものである。

 

3 日本弁護士連合会、法務省、文部科学省等の取り組み

 日本弁護士連合会は、2003年(平成15年)4月、市民のための法教育委員会を設置し、全国の単位会や後述の法務省、文部科学省等と連携して、自由で公正な民主主義社会の構成員を育成・支援するための教育方策の策定及び実践、教材開発、並びに、教育関係者との情報交換など法教育の普及と実践に向けた諸活動を先頭に立って精力的に担ってきた。 

 法務省は、2003年(平成15年)7月、教育関係者、研究者、法律実務家及び法務省・文部科学省の各担当者等を構成員とする法教育研究会を発足させ、同委員会は、2004年(平成16年)11月、その検討結果と教材例を取りまとめた報告書を発表した。同報告書は、我が国における法教育の必要性・重要性を訴えるとともに、今後、法教育を普及させるための課題として、法教育の重要性を周知することと、教員、法律実務家、研究者、家庭及び地域等との連携が大切であることが求められると指摘した。その後、同研究会における成果を引き継ぐ形で、2005年(平成17年)5月、法教育推進協議会が発足し、現在も、精力的な研究が続けられている。

 また、文部科学省も、2005年(平成17年)2月以降、中央教育審議会において国の教育課程の基準全体の見直しについての検討を続けていたが、同審議会初等中等教育分科会教育課程部会は、2008年(平成20年)1月、法教育を学習指導要領に盛り込む旨の答申を取りまとめ、これを受けて、2008年(平成20年)3月、小中学校の新学習指導要領が告示された。 この新学習指導要領における法教育の取扱いについて、その一端を紹介すれば、中学校社会公民的分野において、「きまりの意義について考えさせ、現代社会をとらえる見方や考え方の基礎として、対立と合意、効率と公正などについて理解させる。その際、個人の尊厳と両性の本質的平等、契約の重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任などに気づかせる。」、「法の意義を理解させ、民主的な社会生活を営むためには、法に基づく政治が大切であることを理解させ」る、「国民の権利を守り、社会の秩序を維持するために、法に基づく公正な裁判の保障があることについて理解させる」ことが求められることとなった。 

 なお、高等学校の学習指導要領については、現在も改訂作業が続けられており、ここでも何らかの形で法教育が高等学校教育の中に盛り込まれることは確実視されている状況にある。

 さらに、以上のような国レベルでの取り組みを受けて、教育関係者はもちろん、法律実務家、単位弁護士会及び弁護士会連合会も含めて、全国の至るところで、法教育の普及と実践に向けた取り組みがなされていることも改めて指摘するまでもない。その取り組みの内容は、出前授業や模擬裁判、ジュニアロースクール(サマースクール)といった実際に授業を行うというものから、シンポジウム・研究会・研修会の開催に至るまで実に多岐に亘っている。

 

4 中国地方における取り組み 

 上記のような法教育の普及と実践に向けた取り組みは、もちろん、中国地方においてもなされている。

 広島弁護士会では、裁判員制度実施委員会が、2004年(平成16年)度より、法教育の出張授業に取り組んでいるが、2006年(平成18年)度からは、毎年夏休み期間中に中高生を対象とした「ジュニアロースクール」を開講しており、年々参加者を増やし好評を博している。

 次に、山口県弁護士会でも、裁判員制度・刑事司法改革問題プロジェクトチームが、2006年(平成18年)度より、裁判所及び検察庁と合同で教員向けセミナーを開催するなどしており、法教育の普及と実践に向けた取り組みの一歩を踏み出したところである。

 また、岡山弁護士会では、従前より県民ネットワーク委員会が毎年高校生のための刑事法廷傍聴を企画していたが、2004年(平成16年)度から3年間、岡山市内の中学校において法教育実践モデル授業に取り組み、2005年(平成17年)度からは「ジュニアロースクール」も開講している。近時は岡山大学法学部の研究者はじめ教育関係者と協同して「岡山法教育研究会」を発足させ、同委員会から委員を送り協力している。

 さらに、鳥取県弁護士会では、2006年(平成18年)度、専門委員会である法教育委員会が設置され、2007年(平成19年)度、高校生を対象とした「サマーロースクール」を鳥取と米子で開催した。今年度は、アンケートによって学校現場のニーズを吸い上げ、その吸い上げられたニーズに沿った形で出前授業を行う旨アプローチの仕方に工夫を凝らしている。

 島根県弁護士会でも、2007年(平成19年)度、専門委員会である法教育委員会が設置され、出前授業を中心に活動を展開している。2007年(平成19年)度の実績は、18校に出向いて、弁護士という職業や裁判員制度についての講義、模擬裁判のサポート等を行った。なお、島根県弁護士会の活動で着目すべきは、教育センターに働きかけ、教員研修に法教育を取り入れてもらい、模擬授業を行うなど、教育委員会と連携がとれている点である。

 最後に、前述の日本弁護士連合会の取り組みと各単位会の取り組みが契機となって、中国地方弁護士会連合会においても、2007年(平成19年)10月、市民のための法教育委員会が設立されるに至っており、今後、日本弁護士連合会と中国地方の各単位会と橋渡し役となることが大いに期待されている。

 このように、中国地方においても、法教育の普及と実践のための活動は、徐々にであるが、着実に芽を出しつつある。

 

5 法教育のより一層の普及と実践の必要性

 しかしながら、前記中国地方における法教育の普及と実践に向けた取り組みだけでは、未だ十分なものと言うことはできない。

 まず、前記のとおり、法教育が取り扱う対象が誰もが日常的に接する身近な法的事象であるにもかかわらず、現場の教員にとっては、自らが法を教えることに対する不安感が根強く存在しているのは紛れもない事実である。一方、法律家にとっては、教えるべき内容それ自体に対する不安はないとしても、それを生徒に伝えていくための技能を有していないために、生徒への効果的な教育を実践できないという問題を抱えている。したがって、法教育の普及と実践をより一層推進するためには、教育関係者と法律関係者が密接な協力関係を構築し、相互の知識・技能・経験を共有し、各種教材の開発、授業の実践などの諸活動を協働して遂行していくことが不可欠である(第1項)。

 次に、法化社会の進展に伴い、法教育の重要性が増すことは避けられないうえ、さらに、今春の法教育の学校現場への導入を求める学習指導要領の改訂の影響もあって、今後、法教育を支援することのできる能力と識見を有した法律実務家に対する需要が急増することが予想される。しかしながら、こうした現場の需要に十分に応えられる法律実務家は十分に確保できていないのが現状であり、これを養成することは喫緊の課題である(第2項)。

 また、これまでの法教育の普及と実践に向けた取り組みは、今春の学習指導要領の改訂として結実し、学校現場への法教育の導入という一定の成果を挙げるまでに至ったが、その成果をより実り多いものにするためには、今後、教育現場に導入される法教育の内容が質的にも量的にもより一層充実したものとなるよう、行政に対して積極的な働きかけを継続していかなければならない(第3項)。

 最後に、今日における法教育の必要性・重要性は極めて大きいにもかかわらず、一般市民の認知度は決して高いとは言えない。また、教育関係者や法律家においても、必ずしも十分な理解を得ているとは言い難い状況にある。そうであるとすれば、今後、法教育をより一層普及させ、実践していくためには、法教育に対する社会の理解を得られるように、その広報に努めることが必要である(第4項)。

 よって、上記のとおり決議する。

以上