中弁連の意見

議   題

島根県弁護士会

「労働と貧困」問題を解消するため、
最低賃金制度の抜本的改正を求める議題

 

 国に対し、最低賃金の大幅な引き上げ、地域格差をなくすための全国一律最低賃金制度の確立、監督と違反に対する制裁の強化等、労働者が、働いて人間らしい生活を営むための最低限の条件整備として、最低賃金制度を抜本的に改善することを求める。

提案理由

1 労働と貧困問題の現状

(1)わが国において、現在、かつてない勢いで貧困が拡大している。生活保護の被保護世帯、被保護人数については、戦後最低となった1993年(平成5年)がそれぞれ58万6106世帯、88万3112人であったにもかかわらず、それが2008年(平成20年)には115万9630世帯、160万6714人にまで増えた。この水準は、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した1956年(昭和31年)とほぼ同じである。いわゆるフリーターの平均年収は140万円であり、国税庁の発表では、2006年(平成18年)に年間給与額200万円以下の者が1000万人を超え(1022万8000人)、翌年には1032万3000人に増加している。もはや、「まじめに働いてさえいれば、食べていける」状態ではなくなっている。

(2)加えて、2008年(平成20年)9月、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズ・ホールディング・インクが事実上破綻したことに端を発した世界金融危機の顕在化により、我が国及び全世界は100年に一度とも言われる経済不況に見舞われ、いわゆる「派遣切り」と呼ばれる派遣労働者の雇い止めが一気に社会問題化した。2008年(平成20年)12月31日から2009年(平成21年)1月5日まで日比谷公園で行われた「年越し派遣村」という炊き出しや生活・職業相談・生活保護申請の先導等を内容とする活動には、約500名の失業者が訪れ、内223名が生活保護を申請し、その大半が受給決定を受けたとされる。

(3)さらに、このような貧困の問題は、労働者層に限ったものではなく、次世代を担う子供たちにも及んでいる。相対的貧困の概念に基づいて貧困の問題を論じた著書によると、2004年(平成16年)における我が国の子どもの貧困率は14.7パーセントに達しており、7人に1人が貧困ということになる。この貧困率は、いわゆる先進国ないしOECD加盟国の中でも高い水準にあるとされる。その中でもひとり親世帯、特に母子家庭の貧困は深刻である。母子家庭の母親の就労率は84.5%と高いが、平均就労収入は171万円で手当等を含めても平均年収213万円であって、国民全世帯の平均年収の40パーセントに満たない。当然、貧困率も高くなり、母子世帯での貧困率は66%に上るとの推計もある。そして、貧困世帯に育つ子供は、学力、健康、家庭環境、非行、虐待などさまざまな側面で、貧困でない世帯に育つ子供と比べて不利な地位にあることは否定できない。

(4)以上述べた我が国の労働と貧困の問題を振り返ると、幸福追求権(憲法13条)、法の下の平等(同14条1項)、生存権(同25条)、教育を受ける権利(同26条)、勤労の権利(同27条1項)など、日本国憲法の精神が国政に反映されているとは言いにくい状況になっている。我が国の労働と貧困の問題は、一刻も早く解消されなければならないのである。

 

2 現行最低賃金制度の概要

(1)このような労働と貧困問題を解消するに向けては、国の施策を様々見直していく必要性がある。
 それには、労働者の最低限の生活を守るセーフティーネットたる最低賃金の引上げを抜きに考えることはできない。

(2)我が国における最低賃金制度は、最低賃金法に基づく。
 1959年(昭和34年)に制定され数次の改正を経て、現行法は2007年(平成19年)11月28日に成立し、2008年(平成20年)7月1日から施行されている。
 同法は、賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もって、労働者の生活の安定、労働力の質的向上、事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的としている(1条)。
 従来、最低賃金には、各都道府県ごとに一律に定められる地域別最低賃金と、各都道府県若しくは全国レベルの特定の産業について決定される産業別最低賃金とがあったところ、2007年(平成19年)改正により、前者は全国各地域で定めなければならないものとされ、後者は「特定最低賃金」として地域別最低賃金を補完するものとして位置づけられることになった。
 そして、厚労省に中央最低賃金審議会を、都道府県労働局に地方最低賃金審議会を設定することとされ、地域別最低賃金は、中央最低賃金審議会が目安として定めた引き上げ率(額)を参考に、各地方最低賃金審議会において審議の上、各都道府県労働局長に建議し、同局長が最終的に決定することとなっている。

(3)地域別最低賃金額決定の基準については、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められるべきとされている(9条2項)
 2007年(平成19年)改正で、労働者の生計費の考慮にあたり、「生活保護に係る施策との整合性に配慮する」との規定が付加された。

(4)最低賃金制度は、近年、パートタイム労働者、派遣労働者など非正規労働者が激増し、その賃金水準の低さが問題とされるに至って、全ての労働者に賃金の最低額を保障する安全網としてにわかに注目されるようになり、2007年(平成19年)改正もそのような状況においてなされた。
 その主な改正点を挙げると

① 目的規定の改正
② 最低賃金の表示の一本化(時間額)
③ 地域別最低賃金決定の義務化
④ 地域別最低賃金決定の際の考慮要素の明確化と生活保護との関係についての規定の新設
⑤ 最低賃金に満たない賃金の支払いにつき使用者に対する罰則強化
⑥ 最低賃金の適用除外規定廃止(減額の特例規定の新設)
⑦ 派遣労働者に派遣先の最低賃金が適用
⑧ 産業別最低賃金の見直し
⑨ 事業所に最賃法違反の事実がある場合、労働者が監督機関に是正措置を求めることができる

などがある。

(5)また、見直し後の地域別最低賃金の概要は

① 全国平均額が703円(前年度より16円引上げ)
② 全国最高は766円(東京都、神奈川県)

となっている。

 

3 改正最低賃金法の実効性

(1)前述したように、最低賃金に関して、労働者保護の観点から改正がなされ、地域別最低賃金の引上げも実施されてはいる。しかしながら、以下述べるように、現在の最低賃金は、労働と貧困問題を解消するためにはまだ十分なものとは言い難い。

(2)まず、絶対的な金額の低さである。
 全国で一番低い地域別最低賃金は、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の627円、次に低いのは、岩手県、佐賀県、長崎県、熊本県の628円である。時給627円では、1日8時間フルタイムで週5日(月22日)働いても、賃金月額は額面で11万352円にしかならない。ここから社会保険料や税金を控除すると手取り額は10万円を下回ると思われ、自立した生活は望めない。
 また、改正最低賃金法には「生活保護との整合性」が明記されたにもかかわらず、現実には、12の都道府県で、生活保護の給付水準額より、最低賃金が低いという現象が起こっている。
 例えば、青森県の最低賃金は630円であり、1日8時間、週5日働いて賃金月額は額面で11万880円である。これに税や社会保険料を考慮して0.864を乗じると9万5800円となる。
 一方、青森市に居住している場合の生活保護費を見ると、生活扶助(7万6170円。2級地-1。30歳。一人暮らし)、住宅扶助3万1000円の合計10万7170円となる。生活保護には医療扶助や生業扶助などあるが、最低賃金で働く労働者は手取り9万円の中から医療費などを捻出しなければならない。
 このように、「最低限度の生活を保障する」ことなどを目的とした生活保護の給付水準すら下回っている現状は、「労働者の生活の安定」には程遠いと言わざるを得ない。
 このような状態が続けば、労働者の勤労意欲が低下し、長期的には社会保障制度の基盤にも影響を与える可能性も指摘されている。

(3)日本の最低賃金の水準は、国際的に見ても非常に低い。2004年のOECDの統計によると、日本の最低賃金の中位値は全フルタイム労働者の賃金額中位値の32%であり、メキシコ、韓国、スペイン、アメリカに次いで21カ国中5番目に低い割合となっている。2006年のイギリス低賃金委員会が公表した統計では、上記の割合は29.7%で、20ヵ国中、下から2番目である。国ごとに制度や物価等事情が異なるため単純な比較は困難であるが、それでも相当低い水準にあることは間違いがない。
 低賃金に依存し、低い労働コストによる競争力の維持を安易に追及することは企業の真の競争力を失わせる可能性もはらんでいる。

(4)地域間格差
 前記の通り、見直し後の地域別最低賃金の全国最高額は766円(東京都、神奈川県)であり、最低額は627円(宮崎県、鹿児島県、沖縄県)であって、その差は時間あたりで139円に上り、しかも格差は年々拡大している。
 さらに、実際の賃金分布との関係で見ると、東京、神奈川といった大都市部では、一般労働者、パートタイム労働者とも、大多数の労働者が最低賃金以上の賃金を得ているのに対し、沖縄などでは、パートタイム労働者はもとより、一般労働者の中でも最低賃金すれすれの賃金しか得ていない労働者が相当割合で存在していると言う意味で最低賃金の影響をより強く受けているということができる。
 最低賃金の地域ごとの大きな格差は、どこで働くかによって労働の価値に差が生じるという点で憲法が保障する法の下の平等の理念にも反するし、賃金の低位標準化や青年雇用の都市部への流出を招き、地域経済、地域社会の崩壊をもたらしかねない。

 

4 中国地方の状況

(1)中国地方弁護士連合会の管内に目を向けると、鳥取県、島根県の地域別最低賃金は629円である。全国で一番低い地域別最低賃金は、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の627円、その次に低いのは、岩手県、佐賀県、長崎県、熊本県の628円であるから、水準としては、全国3番目に低いものとなっている。しかも、宮崎県などの地域別最低賃金との差はごくわずかであるから、全国の中でも相当低い水準になってしまっている。

(2)都道府県間での比較でもさることながら、客観的に見て、この金額が労働者の最低限の生活保障として十分なのかは大いに疑問の残るところである。島根県、鳥取県の最低賃金の時給629円の場合、1日8時間フルタイムで週5日(月22日)働いて、賃金月額は額面で11万704円であり、前記の宮崎県の場合と大差はなく、やはり自立した生活は望めない。

 

5 最低賃金制度の抜本的改善の必要とその内容

(1)これまで見てきたように、現行の最低賃金制度は、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」、その実現のためにも、憲法に根拠をおく労働基準法1条が、賃金は「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と規定していることに照らし、未だ問題点が多く、全ての労働者の生活保障のセーフティネットとして機能しているとは言いがたい。

(2)そこで、最低賃金制度について、国際的な到達点も踏まえつつ、以下の通り抜本的な改善を図ることが必要である。

ア 最低賃金の水準の設定について
最低賃金の水準の設定にあたっては、全国共通の最低生計費を公的に明らかにした上で、生計費を基本として、大幅な引き上げをはかるべきである。また、一般労働者の平均賃金の年収ベースで50%は超えるものでなくてはならない(本来最低賃金は、その国の一般労働者の平均賃金の50%程度は必要であると言われており、EUでは、2005年の欧州最低賃金国際会議で、目標値として平均賃金の60%、短期の暫定目標として50%相当の最低賃金を実現することを求めている)。さらに、現行法の「事業の支払能力」という要素は、そもそも労働者の生活保障という制度の理念に反するから削除すべきである。

イ 地域間格差をなくし、法の下の平等の理念に照らして、全国の全ての労働者(地域、産業、雇用形態、国籍等を問わない)に対し、同一額の最低賃金を適用する、全国一律最低賃金制度を確立する。

ウ 法の遵守に対する監督を強化し、違反に対して、単に最低賃金額と実際の金額との差額のみでなく、割増金の支払を課すなど、労働者を救済するとともに、法遵守のインセンティブとなる方策を講じること。

 

6 結論

 よって、国に対し、最低賃金の大幅な引き上げ、地域格差をなくすための全国一律最低賃金制度の確立、監督と違反に対する制裁の強化等、労働者が、働いて人間らしい生活を営むための最低限の条件整備として、最低賃金制度を抜本的に改善することを求めるものである。

以上